猫の日
とんでもなく暑い日はまるで地球に拒否されているかのような心地になる。家のドアを開けるだけでなんだか焦げ臭いような気持ちにもなる熱波だ。
夏というと、爽やかでキラキラしたイメージがあったような気がする。連日炙られていると「罰」という感覚しか持てない。
Twitterで久石譲がSummerを作曲したのは秋だろうなんてツイートを見たがなんだかそう思えてくる。
この暑さと対峙しながら夏にセンチメンタルな思いを持つことは、夕立を浴びながら風流に感じるぐらい難しかろう。
8月8日は世界ネコの日らしい。先代猫の好物に不思議なものがあった。栗である。甘栗が無類の好物だった。殻付きの天津甘栗なんかをテーブルで剥いて食っていると、身体をよじ登るようにして栗をねだってきていた。猫が栗の味を知るタイミングというのもあまりなさそうなものだが、一体なんであれだけ栗が好きだったのだろうか。
そんな事があったから、栗を食うたびになんとなく思い出す。猫の好物はたくさんある方が良いのかもしれないな。それも人間もよく食べるようなやつが。
日記を書いてるうちにそういえば新聞を読んでいないなと思ったが月曜休刊であった。朝の時点で休刊だから今日は無いなと考えていたはずなのに、ツルッと抜けていた今また再度思い知る。案外、まだその程度には身近な存在なのかもしれん。